フイルム写真とデジタルフォトグラフィーについて
大判カメラを使用し写真を撮影していた頃から、実態を捉える写真の特性をコンセプトの基礎としていた影響か、商業的ツールとしてデジタルカメラと接していても、デジタル上の光の調整や不要物を消したり歪みを補正するレタッチ処理に違和感を感じ仕事をしている。
海外から「フォトグラフィー」の技術が伝えられた時、「真を写す」と解釈し「写真」と定義した言葉が影響しているのか、写真にはドキュメンタリー性が備わりそれが保証されていると思い続けている。(日本人は特に縛られていると思う)
建築を写真で伝える事は難しく、ありのままを撮るだけでは、建築の意匠やそこに介在する空気感を捉える事ができない場合もある。ありのまま、そのままを撮るだけで成立する建築もあるが、設計意図をダイレクトに伝える為に、デジタル上の処理により、不要な要素を削る事でより強い画になる事も、また事実である。


商業的には「写真」ではなく「フォトグラフィー」だという立ち位置の方が成功するだろう。この数年の間、建築家の成功と建築の在るが儘、との間で悩み、今でも明確な立ち位置が確立できないでいる。
ただ、露出したコンセントや室外機をデジタル処理で消す事は御法度としても、日本の電柱と電線はあまりにも酷い。これを地中化するだけで、建築が在るべき外観美を保ち、街の景観はずっとよくなるし、私の仕事もうんと簡単に質が増し、虚像を誇張する罪悪感に苛まれる事もなくなる。